熱した鉄鍋に牛脂を引いてザラメを散らし、美しくサシが入った大振りの肉を広げる。肉に程よく焼き色が付いたら自家製の割り下を絡ませ、卵を溶いた皿で受けて肉のみを味わう。京都発祥の和牛料理専門店『モリタ屋』のすき焼きは、こうしたシンプルな食べ方で始まる。初めの一口は、肉本来の旨みを存分に感じてもらいたいという想いで創業以来継承され続けている伝統のスタイルだ。
『モリタ屋』のルーツは、1869(明治2)年創業の「盛牛舎森田屋」。創業者の森田卯之助が興した、京都初の牛肉専門店である。明治天皇自ら食して牛肉を奨励した、明治維新間もない文明開化の時代。進取の気風に富んだ京都では、牛肉を食べる新しい食文化が全国でもいち早く広まったといわれる。『モリタ屋』は、そんな京都で初の専門店として、150年、6代にわたり、最高品質の牛肉を提供し続けてきた。
牛肉専門店として歴史を重ね、「和牛肉といえばモリタ屋」と称されるほどの名店が、満を持して飲食店を構えたのは1976(昭和51)年。自社直営牧場で育てた牛に加え、長年の経験に基づいた目利きで仕入れる牛を贅沢に使い、看板を掲げたのである。今でこそ、焼肉店、ステーキ店、肉バルなど、精肉店直営の飲食店が盛況だが、当時は珍しい存在。「モリタ屋の肉が食べられる」と京都の食通の間で話題となり、オープン当初から多くの客で賑わったという。
精肉店直営なら味が良くて当たり前。それだけだという思い込みは、短絡的で無粋というもの。名店と称される所以は、店の随所にあふれている。主役である牛肉を筆頭に、熟成具合や切り方にこだわる料理人、伝統の味を代々受け継ぎ伝承する女将、客席で丁寧かつ手際よく仕上げる仲居、美しい設え、心のこもったもてなしなど。それらを一体とし、味と店に対する客の期待と信頼に応えることが、名店『モリタ屋』の流儀だと思う。
京都/四条猪熊
創業の地で歴史を重ね、『モリタ屋』の味と粋を守る四条猪熊本店。古式ゆかしい伝統的な和の要素を重んじる一方、革新と進取の気鋭に富む京都という土地において、牛肉の食文化を発信し続けてきた、名店の原点だ。玄関で下足を預け入店した時から店を後にする時まで、きめ細やかな心配りを感じられるのは、流石本店の風格。確かな目利きと腕をもつ料理人と、女将から直々に教えを受けた仲居が、その時々に最良の状態で口福を運んでくれる。
四条猪熊という立地柄、太秦の撮影所から往年の銀幕スターたちが足繁く通ったというエピソードは、ファンの間で語り草となっているようだ。京都市内に3店舗ある店の中でも、「せっかくなら」と本店を選んで訪れる常連客が多いというのも頷ける。
東京/丸の内
2002年、各方面からの熱いオファーに応え、地元の京都を離れて初出店した東京1号店。すき焼きはもちろん、和牛の旨みをダイレクトに感じるステーキでも、多くのファンを魅了している。
看板のすき焼きは、割り下を張った鍋に肉や野菜を入れて煮る関東風ではなく、鍋に牛脂を敷き、肉を焼いてから味付けする関西風をオープン当初から一貫している。自慢の和牛などの食材も、コストをかけてでも京都から直送している。また、新しいスタッフが加わる度に、本店の料理長や女将が受け継ぐ、『モリタ屋』の味と心を研修で指導するなど、“人”づくりにも時間と労力を惜しまない。
そんなスタンスの背景にあるのは、時代、場所、人が変わろうとも『モリタ屋』の味は普遍でなければならないという、名店としての気概なのだろう。
※表記価格はすべて税金・サービス料別です。