昭和天皇即位大礼が京都御所で挙行された1928(昭和3)年、大阪市内中心部の北浜にわずか5卓の小さなレストランがオープンした。関西初となる本格西洋料理専門店、『レストランアラスカ』である。開店当初は「大阪で西洋料理が流行るはずがない」と冷視されていたが、京阪神の財界人や文化人が多数押し掛けて話題が沸騰。常に大入り満員の盛況ぶりで、その評判は関西に留まらず東京にも広まったという。
初代当主は、東京會舘や横浜のホテルニューグランドなどでサービスの腕を磨いた望月豊作さん。同じホテルニューグランドでフレンチの名手と称された飯田進三郎さんをスカウトし、料理長に据えた。サービスと西洋料理のプロフェッショナルによる強力タッグで、新しい食文化を広め、確固たる地位を築いていった。オープンからわずか2年後には、東京・銀座への出店も果たしている。二代目の豊さんに代替わりした後は、さらなる店舗展開やゴルフ場のレストラン運営などで事業を拡大していった。
その後、2005年には豊さんの三女である薫さんが三代目に就任し、名店の看板を守り続けている。
「創業から90余年、『レストランアラスカ』はお客様に育てられ、教えられてきました。時代や社会の荒波にのまれずやってこられたのも、自分の事のように考え、心配し、お声をかけてくださるお客様の存在があってこそ。『レストランアラスカ』という店は、私たちの持ち物ではなく、お客様からお預かりしているものなのです。こちらの都合を押し付けたり、トレンドやブームに流されたりすることなく、大切なお預かりものを守っていくことが私の使命だと思っています」
昨今、景気の波や外食スタイルの変化、コロナ禍など、飲食店を取り巻く状況は穏やかではない。しかし、西洋料理の名店は、今日も扉を開けている。お客様から預かった大切なものを守るために。
大阪/中之島
大阪にある中之島フェスティバルタワーで、三代目の望月薫さんが第二の創業と位置づけて手がけたフラッグシップ店。「アラスカにしかできないこと、アラスカだからできること」をモットーに、名店の新たな伝統と価値の創造にチャレンジしている。
料理のコンセプトは、トラディショナル キュイジーヌ。「初代料理長の飯田ならどんな挑戦をするのか」をテーマに、彼のレシピやエスプリを大切にしながら現代的なアレンジを加えた、『レストランアラスカ』ならではの西洋料理だ。
店の場所も、これまで多かったビル上層階ではなく、低層の2階に立地。名店の味と格式はそのままに、気軽に訪ねられるカジュアルな雰囲気も打ち出し、これまでの常連客だけでなく幅広い層の新規客からも好評を博している。
東京/日比谷
創業50周年を控えた1976年、日本記者クラブが入る東京・日比谷の日本プレスセンタービル10階にオープンした、東京における中核店舗。現在は、『レストランアラスカ』の料理人として20年以上のキャリアをもち、関東エリアの総料理長でもある佐藤和治さんが料理長を務め、伝統の西洋料理を継承している。
そんな料理とともに、この店を特徴づけているのが、空間とサービス。ランチタイムには窓の向こうに緑豊かな日比谷公園が広がり、四季折々の景色を愛でられる。ディナータイムは、きらめく都心の夜景を望む幻想的な空間へと一変。目の前でデザートをフランベするベイクドアラスカなど、非日常な演出もまた秀逸だ。
料理とホスピタリティの質が高い次元で融合された、名店だといえる。