江戸時代に「天下の台所」と称され、「食いだおれ」などのフレーズとともに語られる食の都、大阪。食を生業とする老舗が今なお多く残り、歴史と伝統が時代を越えて受け継がれている。
そんな歴史と伝統の継承を和菓子の分野で担っているのが、大阪都心のビジネス街、淀屋橋エリアの一角に本店を構える『鶴屋八幡』。上方で屈指の歴史と知名度を誇る、老舗和菓子店である。
ルーツは、江戸時代中頃の1702(元禄15)年に船場の高麗橋三丁目で創業した「虎屋伊織」。主に茶席用の上生菓子を手がけ、武家や豪商などから贔屓にされていた名菓舗だ。その繁盛ぶりは「東海道中膝栗毛」や「摂津名所図会」に記され、江戸時代の商人番付にも登場。160年の長きにわたり、隆盛を続けた。しかし、9代当主・竹田七郎兵衛の代に、当主が病弱のうえ、後継ぎの不在、幕末動乱期の世情不安などが重複。名店は、存続が行き詰まる窮地に立たされた。
そこで、当主から直々に伝統継承を託されたのが、幼少期より奉公し、店の技と精神を熟知していた今中伊八。上方の茶人衆や材料商たちからの信頼も厚かった伊八は、彼らの肝いりもあって独立。1863(文久3)年、高麗橋四丁目に店を構えた。『鶴屋八幡』の創業である。謳った理念は、「隨尊命調進応貴旨精製(ずいそんめいちょうしんおうきしせいせい)」。”お客様が満足する品物を、心を込めてお作りする “という、「虎屋伊織」の家訓を受け継いだものだ。
以来、明治、大正期には博覧会での受賞や宮内省御用命の拝受など輝かしい実績を重ね、戦後の昭和時代にはデパートや東京へも出店。『鶴屋八幡』の名は、地元大阪のみならず広く知れわたっていく。幕末の創業から連綿と続く160年の歩みは、名店「虎屋伊織」を継承したという優位性だけで成し得たのではない。名店の系譜を汲む店としての責任と誇りを胸に、理念を体現し続けた愚直な努力があってのことだ。
大阪/淀屋橋
かつて大坂(現・大阪)町人文化の中枢だった船場の高麗橋で創業し、幾度かの移転を経た現在も大阪経済の中心地である淀屋橋に店を構える本店。大阪の地に根差し、ルーツの「虎屋伊織」時代を含め、320年もの歴史と伝統を今に受け継ぐ、『鶴屋八幡』の総本山だ。
客の顔ぶれは、ビジネスパーソン、ファミリー、シニア夫婦、観光客まで実に多彩。それぞれが、それぞれの目的で訪れた客を店員が迎え入れ、要望を聞いて菓子を勧めている。
そんな店の日常風景に触れると、老舗名店が守ろうとしているものが見えてくる。それは、老舗名店としての格式や地位では決してない。常に客と向かい合い、誠実に接しながら、満足の提供を追求しようとする、街の和菓子店としての真摯な姿勢だ。
東京/麹町
千代田区麹町、新宿通り沿いにある東京麹町店。時節の贈答や先様への進物はもちろん、家族や知人への土産として買い求める客も多い、東京都心の名菓舗だ。
大阪で名を馳せた名店の東京進出は、1956(昭和31)年にデパートから和菓子納品の依頼を受け、渋谷区に工場を開設したことがきっかけだった。その4年後には麹町へ移転して店舗と工場を開設、1990年に新設した自社ビル1階に店舗を設け、現在に至っている。
東京での出店以来、変わらず貫かれているのは、長年にわたって受け継ぐ『鶴屋八幡』の味をそのまま提供すること。素材からレシピ、製法に至るまで、一切のアレンジを加えることなく、上方伝統の和菓子を発信し続けている。客の好みや要望を受けて作り上げる別注品の対応も、本店同様だ。